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6月9日(火) 稽古場レポート

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参加者:ジャコウ 加藤 天野 伊倉 祚鳥(他、公演参加希望者2名)

双身機関参加者も多数関わっていた七ツ寺の企画等が終わり、久々の稽古。
参加希望者がいるという事で基礎練習を丁寧におさらい。


:*:*:身体の準備:*:*:

●片鼻呼吸…左右片方の鼻の穴を交互に塞いで呼吸する
●征服呼吸…身体に取り込んだ空気束を頭蓋骨にぶつけるイメージで鼻から出す
●手首足首の回転…真円を描くように。動きにくい箇所ほど丁寧に
●腰の回転…手首足首に同じく。体の面が捩じれないように注意。頭から腰、腰から両足の中心までのそれぞれが一直線になるように
●太陽礼拝…呼吸をキチンと意識しながら。上を向く時に吸って、下を向く時に吐く。雑にならないよう、丁寧に
●輪廻の歩行…重心の移動や姿勢に気をつけて。動きを分解し体験することで身体を理解する


:*:*:身体の訓練:*:*:

●互いの存在が影響しあうということ●

①それぞれが舞台の壁の各々落ち着ける場所に座る
②1人、舞台上の落ち着ける場所に立つ
③別の1人が同じように舞台に立つ。先に立っている者は他者が舞台に立った事でその場に違和感や身体に緊張感を覚えるのであれば、また落ち着ける場所を探して移動する
④1人また1人と舞台に立つ。先にいる者は③の行動を繰り返す。なお、③で誰かが移動したことによって場の違和感などを覚えた場合にも自由に移動してよい。
⑤全員が場に立ち、落ち着いたところで輪廻の歩行をする。この時身体は全身の毛穴を開き外部に対して敏感であるように心掛ける。他者の影響を受けながらその状態を体験する。

終わったらディスカッション。思ったこと、感じたことの意見を交換する。


●肉体と意識、完全呼吸法のおさらい●

意識とはなんぞやというディスカッション。意識とイメージはどう違うのかという意見を出し合う。イメージ=想像、意識=体感といった意見が出る。

呼吸法のおさらいをしつつ肉体と意識について考える。

①お腹→胸→肩の順で息を吸い、お腹→胸→肩→もう一度お腹の順に息を吐く。少し大袈裟に行う事で、肉体に呼吸する時の状態を覚えさせる。
②次に“意識”のみで再現してみる。意識のお腹が膨らみ、意識の胸が膨らみ、と言った具合。意識すればするほど肉体がその様に反応してしまうのだが、そこはぐっと我慢。
③上記の①肉体的呼吸と②意識的呼吸を組み合わせる。お腹は①で。胸は途中まで①、その後②にシフトする。肩は②で。肉体のみ、意識のみ、そして肉体と意識を組み合わせて、とそれぞれ体験し感じた事をディスカッションする。


●肉体と意識に関する実験と考察●

呼吸法と同じように腰の回転も、①肉体のみ②意識のみ③肉体と意識をしっかりと添わせつつ、と切り替えて行う。
やってみると肉体の動かしにくい方向へは意識も届きにくいことが判る。肉体をあえて止めて意識のみを動かすと、体の内面が大きく影響される。などなど、ディスカッションでの「意識=体感」というくだりが強く実感される。

続いて朗読される詩を全員で聴く。まずは肉体の耳で聴く。次に意識の耳で聴く。非常に文章化に苦しむ感覚。体験してみることをオススメする。是非稽古にご参加を。

ここまでのアプローチで参加者は肉体と意識についての感覚の違いがなんとなくではあるが見えてきている。意識という実態の見えにくいものでも体感することができる。他者の影響と身体と意識、これらは俳優として舞台に立つ上で持っておいて損はない知識であり感覚であろう。

最後に曲に合わせて各々がアドリブで踊る。踊る際に数字による指示がでる。

①=肉体のみで踊る
②=意識のみで踊る
③=肉体と意識双方を使い踊る

この①~③を繰り返し行う。③→①の切り替えが難しい。一度入った意識を抜くのにはまだまだ訓練が必要だろう。

曲に合わせて先程の詩が朗読される。参加者のテンションが上がってゆく。いつの間にか指示と朗読の担当だったジャコウも加わり収拾がつかなくなる。皆曲が終わるまで踊り狂う。


:*:*:ハッピーアイスクリームの稽古:*:*:

●遊ぶ●

だるまさんが転んだで遊ぶ。大の大人5人が全力でだるまさんが転んだをやっている。

ローカルルールや細かい認識のズレは飲み込んで、緩い縛りの中で遊んでみる。

いくつかシーンになりそうな予感、さらなるアプローチを、といったところで時間が来てしまい稽古終了。

諸連絡があったのち、解散。

希望者の中から新たに出演決定となった安藤舞が加わり、今後の稽古が楽しみである。

(天野順一朗)

今日から能楽ワーク!

今日から、名古屋初開催の宇高竜成・能楽ワークショップです。
記念日です!!
あまりの嬉しさにレポーターの筆にも「♡」がついていて、幾分客観性を欠くことになりそうです。ご容赦を。

何はともあれ夕方、名古屋駅新幹線の改札口へ出迎えに。
間もなく辿り着く、というタイミングで携帯に着信が。
「宇高です、今どちらでしょうか?」

「あ、う、あ・・えっと~」などとモゴモゴ言ってると、目の前に当人が。

「あ、はい!ここです、すぐ後ろ!」
「えっ!!あっ!」
慌てて携帯を閉じ、「どうもご無沙汰しております」と挨拶がハモる(笑)。

「ご無沙汰」と一応挨拶をしてみるのですが、全くそんな気がしません。
でも確かに日韓ゼミからは10ヶ月という時間が流れているのでした。
「怖ろしいですねえ」と二人で苦笑していました@車中。

普通、初めての地でのワーク開催であれば、参加人数はどうとか、準備がああとか、やりとりを重ねるものです。
が今回は2日前に電話で待ち合わせを決めただけ。
よほど信頼関係があるのか、二人ともおっとりしているのか(苦笑)。

大須に到着し、まずは会場の七ツ寺を見ていただきます。
「凄いですねえ~、ここは何年前にできたんですか?」ほら来た。
「かれこれ38年目に入ったところです。」
「いやあ、そうですよね。中々この空気は出来上がりませんよね。何か出たりはしないんですか?」
「いや、居るらしいです。僕は霊感ゼロなので、見たことありませんが。」
「そうか~、僕は中途半端にあるんですよね。」
などと、多分第1印象は悪くなかったんだと思います(またまた笑)。

その後、近くのホテルにチェックイン。ワークまで1時間半もあるという事で、近くの喫茶店へ。
七ツのオーラに当たったせいか、劇場空間の話などなどで盛り上がります。ここでもやはりあっという間に時間は流れます。「あれ、気がついたらもう間もなくですね。行きましょう。」
あたふたと会場に戻るとすでに何人かの参加者が。紹介を済ますと、講師は2階に着替えに。主催者は慌しく受付を始めます。

今回の参加者は見事なまでに出自がまちまち。
現役の俳優さんが少ないのがちょっと気になりますが、逆に演劇以外の人にもこれほど関心を持って頂けるのが能楽ならではの懐の深さなのかもしれません。
今後の継続と発展を考えるならば、ベストメンバーなのかもね。

さあさあ、宇高能楽ワークショップ、いよいよです!!

北風か、太陽か

前を走っているトラックの背中に、
「よろずのもの運び中
  一寸先闇、離れて安心」
という、標語ともつかない文句が書かれていて、思わずニヤリとしてしまった。
そうだよね、こう書かれると素直に車間を空けようかなという気にさせられる。これは実に素敵な日本語である。

今までにもしばしばトラックの背中を見て思わずうなったことがある。警察の交通標語などもこういうセンスを取り入れたら良いと思うのだけど、まあ無理だろうな。

人間にルールを守らせるのは、守らなきゃと思わせるのは、法律や命令や罰則では所詮ないだろう。
思いがけずニヤリとし、ほっぺたが緩み、体の力が抜けたところで、(ああ、そうだね)と納得するのではないだろうか。
そしてこういう芸当はどうしたって役人にはできっこない。であれば、法律は自分たちで書くけれど、キャッチコピーや宣伝文はプロのライターを雇う。これが正しい仕事だと思うのだけど、どうだろう?

先日何かのテレビ番組で昔の国会の代表質問の様子を流していた。
野党だから当然、政府与党の何事かを追及する内容なのだけれど、それがちっともギスギスしていなくて、まあ朴訥とした印象すら与えるのである。
そこに相手に対する敬意を感じつつ、訊くべき事は訊くという姿勢が滲んでいる気がしてとても爽やかな気分にさせられた。

交通ルールもそうだが、何かことが起きると蜂の巣をつついたように騒ぎ、厳罰化が叫ばれ、結果世間からハンドルの遊びや余裕が無くなり、ギスっとした世の中になってきている。少し窒息しそうだ。
他人を追いつめるための言葉や言説がこの数年急激に増えているような印象があり、それがとても気にかかる。

ふたつの匂い

カーステレオのCDが久しぶりに「ティアーズ・オブ・クラウン」になっている。

学生時代、下宿したと同時に録音してほぼ毎日聴いていた、と思う。そのころは当然カセットだけど。
まだ携帯電話など影も形もなく、地元の女の子に電話しようと思えば、近くの電話ボックスに行くしかなかった。
テレカや硬貨が無くなってしまうと、通話はそこで終わらざるを得ない、何とも不便な時代だった。
で、部屋に戻るとかけっぱなしにしていたカセットは大抵、「トランジスタラジオ」になっていた。

村上春樹の読破はしごく快調で、鼠三部作を脱兎のごとく読み終わった。
この感触を言葉にするのは難しい。というか、まだ言葉にするには発酵が充分でない。
でも一つだけ言えるのは、この読後感と学生時代に下宿で聴いたRCサクセションの空気がとてもよく似ている気がすること。

村上氏が「羊をめぐる冒険」を書いたのが1982年だから、学生時代に読んでいてもちっともおかしくなかったわけだ。
なぜ読まなかったのだろう。
読んでいたら、きっと随分人生変わっていただろうな。

多分、演劇など止めていただろう。

暗黒舞踏賛江

今、『ファシズム!』の稽古が面白い。

何が面白いって、初参加のメンバーに体感してもらうため、実際のシーンでは使わない舞踏のステップも稽古の最初にやってもらう。自分でも何年かぶりでやってみるのだが、つくづく土方さんの人間の体のカタチと生理に対する洞察の深さに改めて感じ入るのである。

これは私だけの感慨ではなく、若い役者たちも一様に面白いと言うし、見ていた秋公演の出演者も「うわあ、ファシズム絶対観に行きますよ、都合つけます。」と瞬時に言うほど。

こんなに面白いものに何故もっと日本人の関心が向かないのか、さっぱり判らない。
誕生当初は多くの人を惹きつけたであろう暗黒舞踏が数十年後のいま、痕跡を探すのが難しいほど火が消えかかっているのは一体どうしたことなのだろう。

判らない。

そのカタチ

何日前だったかなあ・・

家に帰ると母親が「象の背中」を観ていた。
な、なんちゅう映画を観てんねん、本気かて!!

こんなもん観てたら、途中から絶対に涙が止まらなくなるぞ。いいのか?

案の定、である。
何度目をこすっても足りない。
当たり前だ。親子に夫婦に兄弟、果ては絶縁した父親とその後妻と、愛と憎しみと果ての許しがこれでもかと息つく間もなく畳み掛けられる。
ご丁寧に愛人と嫁の対面まで用意される。そして全ての赦しが訪れる。

驚いたことに、自分の父親が最後の夏に、駅のホームで吐いた姿がありありと浮かんできた。もう30年も前のことなのに。

その夏、僕の家族は恒例のお盆帰省で軽井沢の祖父の家に向かうところだった。が、その少し前から体調を崩していた父は最寄の駅のホームで吐いた。
最後だと判っていたはずはないと思うのだが、母が必死に止めるのを聞き入れようともせず、父はあくまで実家に行きたがった。
が、名古屋駅に出たところでとうとうギブアップせざるを得なくなり、家族はタクシーで我が家にUターンした。

記憶ではなく、なめるようにそんな光景が目の前に展開した。

僕は映画を観て泣きながら、しかしどこかで僅かの違和感を覚えてもいた。
死はこんな綺麗なものではない。
もちろん、不特定多数の人間に見せるためにどこかで美化が働かざるを得ない、そのことはよく理解できる。

だが、一個の肉体がやせ細り、滅びていく様は、断じてあんな美しいものではない。
後から聞かされた話だが、父は母に「もう殺してくれ」と言ったそうである。
「一緒に死んでくれ」とも。
そしてその母は常に疲れ果て、苛立ち、ささいなことで子供たちにあたったりもしていた。横川の咲子おばさんが助けに来てくれなかったら、家族はもたない状態だった。
とてもじゃないが、僕たち家族には思い出創りをしている余裕なんかは無かったのだ。

映画の批判をしたい訳じゃない。なんでこんなブログを書こうと思ったのかも良く判らない。
むしろあの映画が繰り返し上映され、多くの人が命の尊厳について考えてくれるといいな。
でもだからといって観た人たちに、あれで判ったという気になってほしくはないのだ。

死の瞬間は美しいかもしれない。しかしそこに至る過程はとても醜悪で過酷なものだ。
そのことだけは想像してみてほしいという気がする。

今さら、春樹

読むなら、とっくにそのきっかけはあったはずなのに、つい最近になって村上春樹を読み始めている。

きっかけはあるといえばある。
「村上春樹の隣にはいつも三島由紀夫がいる」という本を随分前に本屋で見かけ、むしろ三島とのつながりという予想外の文脈に惹かれて買ってしまった。

しかしそれも本棚に入れたまま、ほったらかしにしてあったので、直接的なきっかけとは言えない。
つまりはその「村上春樹の隣には~」という長いタイトルの本を再び本棚から抜き取ったのがきっかけといえばきっかけなのだが、ではその長いタイトルの本をなぜ抜き取ったのかはまったく思い当たらない。

今年になって随分刺激となった本を次々と読み終え(これらもブログに書こうと思いながら、ついつい、ね)、少し間が空いたし、京都に行くのに道中の本がないと寂しいし、さりとてハードカバーは重いし、

てんで本棚を覗いたところ、手ごろな新書がそこにあった。ぐらいの理由である。まったく著者の目に触れたら怒られそうな動機だ。

新書の方は、とはいえ三島-村上のつながりとは何ぞやには興味があるに決まっていたから瞬く間に読み終え、京都からの帰り道には早速『風の歌を聴け』を購入。
これもあっという間にクリアして現在、『1973年のピンボール』を間もなく読み終えるところだ。

この調子で行けば今月中には主要作品はひと通り読破するだろう。
しかし、このハイペースな読書が自分にもたらすものについてはまだ全く予測がついていない。

大体この年になるまで触れてこなかったのだから、それには相応の理由があるのだろう。こう見えても寺山修司やハイナー・ミュラーや井上陽水や安部公房を鼻で嗅ぎ当ててきたのだから。

昔、随分な年齢まで納豆が食えず、食おうと思って数年がかりで克服したことがある。結構な数の友人に協力を仰ぎ、色々食べ方を試した挙句、一番美味い納豆を食ってそれでだめならもうそこまでの相性なのだと水戸まで出かけて彼の地で開眼した。

村上春樹は自分にとって今のところ、当時の納豆のようなものである。
こんなこと書くと、またまた色んな人から怒られそうだけど。

納豆も自覚的に口に入れ始めるとすぐに食べ物だということは理解できた。
しかしそこに積極的な価値を見出すには時間がかかった。(うん、豆だ)くらいの心象であった。

それに比べれば、春樹の面白さは現時点でも断然味わえる。
ただ、これ程多くの読者に愛されている作家に対し、今まで触手が伸びなかったのだから、本当に(美味い!)と思えた時には他の人とはかなり違う味わい方をしているのではないかと思う。

グダグダと駄文を連ねましたが、今年の秋から来年にかけての舞台にはこっそりと「春樹」が隠し味として挿入されているかも知れません。
そんな目でご覧になるのも一興かと思います。

御開帳

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善光寺へ行ってきました。

といっても信州はさすがに遠く、稲沢市にある東海別院のお話です。
信州人の血を引く者としては、御開帳が始まる前から気がはやって仕方がないのですが、とても時間がありません。
(前回、2003年の時は頑張ったんですけどね)

じゃ、せめて近いところでだけでも、と昼食を済ませたその足で出かけて行ったのでした。
着いてみると中々の賑わいです。東海別院には正月も含め、何度か行ったことがありますが、こんなに人が沢山いるところを見たことがありません。
普段は境内内の駐車スペースまで入っていけるのですがこの日は少し手前の駐車場へ誘導されます。そもそも警備のおじさんたちが出ているのも初めて見ました。

すばらしかったはこの警備のおじさんたち。連れていた祖母がすっかり足が弱っていて、とても歩けないと言うのであきらめて引き返そうとその旨を告げると、
「じゃあ、境内までそのまま入って下さい。すぐに連絡取りますから大丈夫です」
「え、いいんですか、ありがとう!」とそのさほど広くない駐車場を出ると、そこに立っていた次のおじさんにもうトランシーバーで伝わっています。
要所要所に立っていたおじさんたちが、来た来たとばかりニコニコ誘導してくれます。その迅速さ、手際のよさは感激ものでした。

そんなことですっかり気を良くして境内へ進むと普段の3倍くらいの出店が。
祖父江は銀杏の産地なのでその関係の品を並べた店。フツーにうどん・そばを食べさせる店。そこまではフツーですが、インドカレーの店まであります。ちょっぴり浮き気味。「仏教の本場のカレーを食べよう!」のコピーには笑ってしまいました。祖母の手を引いていなければ食ってたかもね。

さてさて、いよいよお参り。まずは境内の真ん中に立てられた「回向柱」にペタペタと触ります。ここから本道に伸びている布がご本尊様とつながっているので、柱に触ることでご本尊様をお参りするのと同じご利益が得られるという訳です。(写真右参照)
それを説明し、「ほら、触んなさい」と母と祖母を促し、3人ですりすり。

その後は本堂の階段を上がれない祖母を少し待たせて、「じゃあ、代わりに行ってくるからね」と、御開帳となった「前立本尊」にお参り。遠目でよく見えないけどやっぱり有難いのです。
ちなみに祖母を長く待たせられないのでパスしましたが、お金を払って内陣まで入るともう少し近くで見られます。このブログ読んで興味を持たれた方は是非、内陣までお進み下さい。

やあ、良かった良かったと、再び手を引いて車に戻ります。帰り道、すでに祖母は少し弱っていて、もたれかかってきました。
「しんどい」と訊くと「ちょっと」

昔々、全国至る所に金毘羅さんやら白山社やらがあったり、山のてっぺんに元々の社があるのに登れないからとふもとの方が大きくなってしまったりすることに、(日本人の宗教観は何ていい加減なんだ!)と呆れていましたが、
何やらこの日はそれを地で行ってしまいました(笑)。

いい加減ではなく、柔軟なんだと。日本人の懐の深さなのだと思い直し、見直した次第です。
また一つ、原理主義から脱することができたかな。やはり何事も体感しないとね。

ふう・・。

ああ、疲れた。

半分シャレで、「16時間耐久合宿」と銘打ったのだが、やってみると実際長かった。
1日8時間も稽古をしたのは、かれこれ何年ぶりだろう?
「まだまだいけるな」と自分を褒めてやりたい気も少しするが、よく考えればはるかに高齢の演出家で毎日幾つもの現場を掛け持ちで、日がな稽古している方がいらっしゃるのだから、さして自慢するほどのことでもなく、むしろ「疲れた」などとここで書いているのはヘタレの部類に入ってしまうのかも知れない。

それはともかく、合宿の内容はかなり濃かったと自負してよいものだったと思う。多彩なメニューを盛り込みつつも、何をやっても常に「舞台に立つのは俳優自身であり、今自分はリアルに立てるだけの情報を体の中に持っているか、足りないとすれば何がどれ位足りないのかを自問すべき」だということが浮き彫りになっていった。

その意味で参加者にとっては厳しい時間だったと思うのだが、終始笑顔が絶えることなく楽しそうだったのが強く印象に残った。

夜の下見

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いえいえ、色っぽい話ではありません。

今回の公演、目下最大の難題は会場をどう使うかです。
八幡宮の境内はとても面白いことは間違いないのですが、面白すぎて逆に普通の劇場のように舞台と客席を設営してしまったらあまりに貧弱な作品になることでしょう。

「今に残る日本人のしぐさ」というコンセプトから、この場所へ辿り着いたのですがどうやって使うかは実は全くアイディアがありません(笑)。
なので、京都で武者修行中の舞台監督・柴田の帰省に合わせての会場打合せが待望されるところでした。

で、昨夜用事でアクテノンに出向くとその柴田とバッタリ。
「帰って来るなら連絡せんかい。」
「ごめんんさい、急遽決まったんです。」

で、そのまま拉致して現地へ。

役者との下見も勿論重要で楽しかったですが、スタッフと居ると感触が全く変わります。違う場所のよう。

ここで明かすわけにはいきませんが、お客さんにとって公演が2倍楽しくなるプラン、一歩間違えるとはた迷惑なプラン、が続々と迸りました。

知りたい人は当然、10月2・3日に城山八幡宮にお越し下さいませ(笑)。

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