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ここが狭間

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ここがお山の玄関だったのですね。

徳川家康は今でも嫌いですが、この広島東照宮は大げさなデコレーションがなにもなく居心地の良い空間でした。

駅からすぐに一の鳥居があって、参道を通って石段を登り、境内の裏手から稲荷空間へ。

次は必ずや、順路に添って登ってみようと思います。
勿論、踊りながら。

行けども行けども、鳥居

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どうやらこちらから登るべきだったようです。完全に間違えました。

最初の(道のりを逆に辿っている訳ですから、最後というべきでしょうが)稲荷神社を過ぎてから、延々とこんな感じで鳥居が続きます。
石段が折り返すところには必ずと言っていい位にお稲荷さんの祠が建っています。

双葉山は完全に霊山だったようです。
登り道は住宅地一色だったので、ちっとも気づいていませんでした。
そして腑に落ちたことがまた一つ。
「熊野」にも出てくるように、「稲荷山」という言葉をしばしば耳にしますが、それは文字通り、山一つが丸ごとお稲荷さんだということを指していたのです。

腑に落ちるってのは、本当に頭ではなく五臓六腑で理解することなのですね。
歩いてみて初めて実感できる知識でした。

お稲荷様

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仏舎利塔の前でしばしの間、わが身を洗ったあとは登りと反対側から山を降りることにしました。
するとたちまちアスファルトの道は途絶え、石段が始まります。
降り口の中ほどに突然こんなプリミティブな空間が。
石段を降り始めてすぐに体のテンションが揚がるのを感じていたのですが、どうやら原因はこれでした。

ここで踊りたい、と思ったのは言うも更なりです。

祈りの空間

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白銀の塔の正体は、地元の寺院や篤志家が中心になって建立した「仏舎利塔」でした。

双葉山山頂からは広島市内が一望できます。戦後間もなく建てられたこの塔は、街の復興を静かに見守っていたことでしょう。
そして塔の中に収められた仏舎利はインドのネール首相から、中ほどに顔をのぞかせている黄金の仏陀はタイ国政府から、それぞれ贈られたとのことです。

胸が熱くなります。

白銀の塔

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双葉山は精々標高139メートルのお山なのですが、ヘロヘロの身には結構遠き道のりでした。
しかし頑張った甲斐あって山頂へ。

目指す白銀の塔はそこに粛然と建っていました。
時間が止まりました。

天満宮・・・

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クライマックスはもしかすると山門だったかも知れません。

天満宮というからには菅原道真公に縁起を発するはずですが、果たして由来書には公とこの地との関わりが書き連ねてありました。(ちなみに建立したのは平清盛です)そして山門の両側に仁王様と道真公が。陰と陽、荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)といった風情から何かが確かに湧き立ってきます。

テンション揚がって門をくぐると意外に境内は小ぢんまりとしています。
本殿の脇にお堂があってそこには何やら注意書きが。
どれどれと読んでみます。ふむふむ、「登龍門をくぐり、竜神石を打ち鳴らすべし」。ちょっと端折りすぎですが、おおむねそんなことが書いてあります。
写真下です。

で、「登龍門」は写真左上。ええ、これかよ?まるで安っぽい中華レストランの入り口のようです。
頭に「?」マークを3つほど付けながらくぐると「竜神石」は写真右。ちょっと見づらいですが、真ん中にそう書いてあります。これ、案内板のように見えますよね。でもそうじゃないんです、これが正に「竜神石」なのです。
そりゃ、確かに打ち鳴らしたら良い音色でしたけど・・・・

そりゃ、そんなに多大な期待をしたわけじゃないけど、
大宰府には行ったことないけど、北野と比べてもギャップは凄まじいわけで、
いや、比べるって問題でもないんだけど・・

信仰の対象というよりは、地元に密着のおまじないの場のような。
脱力すること請け合いです。

双葉山

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駅から歩き出してほどなく、「歴史の道」なるものの案内図が立っていました。
それによると白銀の塔が建っているのは双葉山という山の山頂のようです。
そして双葉山の途中には尾長天満宮という神社があります。

定められたいわゆる散策コースというのはあまり好みではないのですが、山頂に登る道は一本で、その曲がり角にその天満宮の立派な山門が建っていました。

こうなると神社仏閣好きの身としてはくぐらざるを得ないのです。
光に吸い寄せられる蛾みたいなものです。

ちなみに白銀の塔は写真左の片隅に見えますね。

行動開始

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朝刊を読む間も津波のような睡魔が押したり引いたり。歯を食いしばって読み終えるが、とてもじゃないが持参した村上本を開く気にはなれず。ああ、どこかに仮眠室はないものか。

ふとサンマルクの窓から外を眺めると、小高い山の上に白銀の塔が建っている。そういえば一昨年のCTTで来た時にも柴田の車の中で「あれ何だろうねー」と話していた気がする。そして地元の人から縁起を聴かされたような気も。

よし、ここはひとつどんなものか確かめてやろうじゃないか。体はフラフラだけど、さほど標高が高そうな山でもないし(山というよりは丘のように見える)。
いざ会議が始まってしまうとあとは最終日まで結構びっしりなので、今しかチャンスはない。

そんなわけで朝の日差しに脳みそとろけそうになりながらも歩き出したのでした。

広島に来ています

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今日から広島。

交通費を節約して高速バスに乗ったら着いたのが朝の7時。
会場入りは午後3時なので気が遠くなるほど時間がある。しかし眠いのである。
キオスクで朝刊を買い、駅構内のサンマルクでモーニングするも、それでつぶれる時間などたかが知れている。

最終日まで目を開けていられるか、不安な幸先である。

死者との暮らし方

「寂光根隅的父は死者たちとの時間を過ごしているのではないだろうか」と、レビューに書かれたことがある。
確かにここ数年は『ファシズム!』『月読ノ宮・2007年午前零時』『今日は私の誕生日』と、そのような作品を創り続けてきた。

そりゃそうだろう。この歳になると鬼籍に入ってしまった友人・知人・先人たちが、生きてるそれよりも段々多くなってくるのだからして。

しかし創り方には確かに問題があったような気もしている。
追悼の念があまりに生々しくて、後悔ばかりが前面に出過ぎたかも知れない。
そうした現場に立ち会うお客さんは楽しめなかった人も多かったかも知れない。

日本人の伝統的な死生観について話す機会、書かれた文章に触れる機会が最近続いたが、これは創作の転換を促す天の声だっただろう。
私たちにとって死後の世界は天上や地下深くにあるのではない。
死者はなお身近に留まり、私たちとともに居る。

生きる者も死せる者も共に集い、笑い合って過ごす時間。
そんな舞台を創りたいと今、オボロゲに感じ始めている。

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