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お怒りが出たところで、ひと言

野依先生がとうとうお怒りになった。
事業仕分けで科学技術関連予算に厳しい判定が下ったのを受けて、「科学に対する予算は対費用効果ではない、将来に対する投資である」と仰った。

正論である。

しかし私は同時に一抹の違和感も覚える。
なぜならこうした声が当事者から挙がることにはどうしたって利害という側面も付きまとうからだ。
フィールドが変われば、ダムにだって道路にだってそれぞれの正論はある。

昨日の新聞で誰かが述べておられたが、問題は民主党政権が明確な国家ビジョンを持たないままこうした仕分け作業に手をつけてしまったことだと思う。
そりゃそうだ、何が優先で何が二の次かが決まらなければ、一律に削るしかないんだから。

例えばですよ、選挙で多数を取った政権が「日本はもう一度農業中心の国づくりに立ち返るんだ」と言えば、科学予算もいきおい生物学とか遺伝子工学中心になっていくだろう。その場合、当然物理学は二の次になる。

100人いれば100の正論がある、ということを認めるのが憲法でいう良心の自由であり、その中から多数の意見を汲んで現実の選択をするのが民主主義というものであろう。

同じ違和感から私は、文化振興基金を始めとする文化関連予算が大幅にカットされる事態に対し声を挙げよう、という呼びかけに呼応することが出来なかった。趣旨に反対するわけではないが、違和感の源が何かを考えているうちに時間が過ぎてしまったのである。

上記の原則に照らせば、演劇人は文化予算の確保を国民の大多数の声にしていかなければならない。
だが、一向に仕事帰りに観劇に、とか週末はちょっとおしゃれして劇場でデート、なんてのが一般的な慣習になりそうもないこの国で、果たして演劇人の主張は正論足りうるのか???

いや、私なりには一言ありますよ。
先日書いたように、若者の共感力が弱まっているこの国で演劇を教育に取り入れることは社会を救うことであり、正に将来への投資に他ならない。
この点で私は平田オリザ氏の取り組みを断固支持する。

しかし、それは現在の助成制度とはまた別の話だ。

Oh!金利恵!!

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金利恵 韓国伝統舞踊公演2009「韓舞 水と花と光と」を観る。

重要無形文化財保持者の舞を名古屋能楽堂でたっぷり1時間半堪能できるのです。何とも贅沢ですよね。

ワクワクしながら当日券を買い場内へ。
ほどなく開演ですが、あれ?どうも一幕・2幕とテンションが揚がりません。
観ているこちらの体調のせいかと思ったのですが、周りの拍手もパラパラなのを見るとそうばかりでもなさそうです。

無形文化財だからって訳でもないですが、こんなもんじゃないだろう。
だって、去年ソウルアートセンターで観た伝統舞踊はもう少しテンション高かったですもん。

などと悶々としていたら、3幕目の開始を告げる鐘の音が。お?明らかに今までと音色の迫力が違う。
果たして2幕までと何がどう違うということもないのに、以後は目が釘付け。
静かな手のしぐさも、激しい旋回も、水上を渡るような足の運びも。
クライマックスは踊りながら、大太鼓の乱れ打ち。
果たして今度は、会場割れんばかりの拍手喝さい!
お腹一杯になりました。。。

名手の舞をたっぷり堪能したおかげで、またアートセンターと違い能楽堂の近い距離で観られたおかげで、新たな気付きがいくつも。

足の運びは中国武術のようであり、手のしなやかさはバリのレゴンダンスのようであり、旋回は中央アジアの旋舞のようであり・・
朝鮮半島もまたシルクロードの途上であったということでしょうか。

また激しい動きの中にも、胸から腰にかけての体幹がしっかり止まっているのが印象に残りました。
これはもしかすると騎馬民族の伝統的な身体運用ではないだろうか?
激しく揺られても振り落とされないために、しかし手と足は柔軟に、とか?

韓国舞踊が習いたくなりました。
そうだ、来年はソウルに行こう!

来た~!

NHKの「SONGS」にとうとう井上陽水がお出ましした。
しかも4週連続!である。

先ごろも、当人の芸能生活40周年で特番組んだばかりだ。
どうやらNHKには余程のファンがいて、番組編集権を握っているらしい。
喜ばしいことである。

それはさておき、この音楽畑の巨人は還暦を過ぎてまだまだ遍歴を加速させている。
特にそんな印象を持ったのは「傘がない」。

以前なら情感たっぷりにサビのくだりを艶やかに歌い上げていたものだ。
それが今では何か、やり場のない怒りをぶつけるかのように荒々しく歌い殴っている。
歌い殴っている、などという日本語はないだろうけど、そうとしか表しようがないのだ。

一体、何が陽水氏の中で起きているのだろうか?
残り3週から目が離せない。

生「住田先生」のお話を拝聴する

今日は地元の市民会館で催された「ゆとり創造講演会」に足を運ぶ。
あまりご近所を顧みない私には珍しいことである。ひとえに講師の住田裕子先生につられてのことである。

これが想像以上に素晴らしかった。
「行列」でいかに紳介にいじられ続けているかとか、某弁護士はなぜいつも笑わずむっつりしているのか、など裏話満載のサービスで笑わせる。

またご自身のダイエット話をやや自虐的に披露しつつ、じわじわと健康の大切さに話をシフトさせ、テーマであるゆとりを少し連想させるあたりは心憎い(深読みかな?)

ここまでで1時間余、残り30分を切ったところで内容は急旋回。
本職の現場で接する人間たちの変化の実感を基に、ストレートに世相へ切り込んでいく。そこから少年Aから今かしましい結婚詐欺事件に至る共通の病巣をあぶりだすのだ。
といって堅苦しさは微塵も無い。聴衆はたっぷり時間をかけて頭を柔らかくして頂いたおかげで自然な集中状態になっている(と思われる)。皆さん、食い入るように話に聴き入り、頷いたり唸ったりしている。

共通するのは「コミュニケーションの下手さ」と「共感力の弱さ」だということである。
共感力というキーワードに、特に合点がいく。目の前で血を流して苦しんでいる人間や生き物に痛みを感じられない、ということである。
物心ついた頃に、肌身で接する体験をしっかり得られなかったためだろうと推察する。

我田引用すると、これは観客の想像力の衰退に連結する演劇の危機である。
裏返しとして、社会の危機を克服するツールとして演劇の重要性が潜在的には高まっている、ということでもある。

潜在的には、と書かざるを得ないのは、肝心の演劇の内部でも共感力の衰退は着実に進行しているのではと思えるからである。やっぱり危機なのだ。

20年

ベルリンの壁が崩壊してから20年。

記念式典でゴルバチョフさんが、「壁は21世紀にもあると思っていた。私が生きているうちに無くなるなんて想像できなかった」と述べていたらしい。

私などはなおさらである。
生まれたとき壁は既にそびえていて、ソ連は世界最強国だと教え込まれた世代だ。その壁が消滅し、ソ連まで消えるなんて、冗談でも思いつきようがなかった。

テレビに釘付けになり、世界は変わるんだと実感した1989年。
だからといって大して良くなりはしないのだと、少しずつ思い知るその後の20年。
(この辺は細川政権や直近の政権交代に似てるかもしれない)

ともかくも壁を知らない子供たちが成人を迎える時代が来たわけだ。
今この人たちは、『ハムレットマシーン』をどう読むのだろうか?

能登はいらんかねえ

一昨日、金沢の本庄君と電話で話す。
その内容を受けて、昨夜渡部君ともろもろ相談する。

名古屋・金沢の交流は一気に加速しそうだ。
まずは年末、能登半島・輪島でレジデンスをしている金沢メンバーを訪問。
年明けは彼らを名古屋に招待してのワークショップ。

できれば京都も巻き込んで、3都市でワークショップを巡回させる流れを創りたい。
それを現在進行中の都市交流演劇祭にうまく結び付けられたらとても良い。

七ツ寺の新規事業と合わせ、希望は膨らむ。
が、人手不足は相変わらずである(苦笑)。

輪島、誰か一緒に行きませんか?朝市もすぐ近くらしいです。きっと楽しいですよ。

師匠来名

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昨夜は演劇大学の講師で名古屋に来ている高田恵篤師匠を囲んでの飲み会。
懐かしい顔ぶれが揃う。

師匠の毒舌は変わらず健在だが、メンバーの方はそれなりの変化が。
結婚したり、引越しをしたり、様々である。
果たして名古屋の『奴婢訓』を再演する日はやってくるのだろうか。

それにしても頭が痛い(当然のことながら二日酔い)。

いま、アーレントがマイブーム

先ごろ、ハンナ・アーレントの入門書を読み終わった。
いやあ、面白かった。歴史の読み方が一変してしまった。

アーレントに初めてチラリと触れたのは、「今日は私の誕生日」を創っていた時。参考に読んだ本の中に引用されていたナチの収容所の囚人たちの描写が鮮烈で頭にこびりついたものだった。
少し間が空いたものの、ここで入門書に巡り会ったのはお導きというものだろう。

著者は図らずも金沢大学の先生である。金沢で再び「ハムレットマシーン」を上演することがあったら、是非ともアフタートークにお招きしたいものである。

それ以上に、今後の作品創りにアーレントとミシェル・フーコーは欠かせない。
次に「ファシズム!」をやるまでには(早ければ来年3月!)、「全体主義の起源」と「監獄の誕生」くらいは読み終えていたいものである。

ブン!

10月の過酷なスケジュールのあとは、やっぱり調子を落としていた。
信じられない忘れ物をしたり、打ち合わせに必要な準備を軽々と忘れていたり、、
あまりの呆けぶりに七ツ寺スタッフの渡部くんなどは、病気なんじゃないかと本気で心配していたかも知れない。

こういう時はどこかで踏んばらないと上昇しない。ほっとくと毎日だらだらと過ごし、寝る前にアルコール注入を我慢しきれず、翌朝ひどい目覚めを迎える悪循環を繰り返す。

で、発起してハタ・ヨーガ。少し上向いたところでここ数日は久々に木刀振り。初めこそ重かったものの、何とか振れるようになりつつある。

初段とって、見よう見まねで振りだした頃から大して技術は向上してないだろう。ただしチェックポイントは飛躍的に増えている。
脇の開き締め、小指の使い方、両踵の重心バランス、体幹の傾斜角度、剣先の重さ、などなど、、、、
さすがにこれだけ多くなるといちいち考えてはいられない。考えるのではなくリアルに感じるのだということが、必要として理解される。

う~ん、たった一振りにこれらの全てが込められたら、少しは体の使い方が上達するんだろうな。

ナイス!

今朝の朝刊の毎日新聞社の宣伝コーナー。

「行動する市民が世界を変えた」というタイトルの近くに、
「何もしない人間が人々の運命を変えていく」という、別の本のコピーが載っている。

確信犯ならば、なかなか味わい深い。
偶然ならば、神様は相当にセンスが良い。

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