記事一覧

メッセージを頂きました

先日のテレビ塔パフォーマンスにコメントを頂きました。
ありがとうございます。

+++++

昨日、パフォーマンスを拝見させて頂きました。
ありがとうございました。
あれこれ勝手な感想が浮かんできましたので、それを忘れないために書き留めました。
以下、お送りさせて頂きます。
(勝手な思い込みと記憶違いはお許し下さい。)

///////////////////////

今朝目覚めたとき、不意にジャコウネズミのパパが手招きする姿を思い出した。それは、昨日のパフォーマンスが始まる前だったか、始まった後だっ
たか・・・。テレビ塔の下、彼の周りには人影はなく、ただ銀のテーブルとイスが広がる。こちらに向かって手招きする仕草に、私は答えなかったし、他に答えたものもいなかった。彼の手はその目的を果たせないまま虚しく収まる。

今思うと、彼の周りに広がるのはテーブルやイスではなく、銀の海。ならばそんな死の世界に飛び込んで行けるほど思い切った人はそこにはいなかった訳だ、私を含めて誰一人。しかし、行くべきであったのだろう、パフォーマンスを見るとはそういうことだ。  

その後、人ごみに向けて歩き出すジャコウネズミのパパ。少女に近づく彼の姿
は印象的であった。(なぜだか私は子どもの頭をくわえるマネをする獅子舞のことを思い出した。)それは必死で不器用なコミュニケーションとも取れなくもない。そう、おそらく彼はそれを求めて、あの銀色のテーブルの海から人ごみへとやってきたのだ。人々の日常の中へ。にもかかわらず、彼の周りには常に数メートルの空間が存在した。それがすなわち彼と人々との埋められない溝。唯一その溝を超えられていたのは、一眼レフを構えたカメラマンたち。

獅子舞の獅子となれなかった彼は、ついに池へと身を投げる。池の中で踊る行為は、自然から力を授かる行為にも見えた。池から上がった彼の体は、みなぎる力を現す水に覆われていた。そして今一度、人間にその踊りを見せつけたあと、ゆっくりと銀のテーブルの海へと帰っていった。

舞台ではなく、日常空間でのパフォーマンスとはどのようなものなのか。期せずして観客となった人たちとパフォーマーとの距離感。
パフォーマンスの後、自らの意思で観客となるために出向いていった私は、パフォーマーとの距離が、時に近すぎるカメラマン達を否定的に捕らえていた。『誰しも経験があることだがファインダーを覗くと自身の身体が消えてしまう。そしてあの存在感の塊ともいえる一眼レフを含めたカメラマンという存在が、パフォーマンスを撮影会へと化してしまう。』と。

しかし、今朝、手招きするジャコウネズミのパパを思い出したことから芋づる式にたどり着いた感想は、、、
それほどまでにカメラマン達を際立たせてしまった、期せずして観客となった人たちの反応とその距離感。カメラマン達も、そのほかの人たちも、あのような場所でのパフォーマンスとの関わり方、楽しみ方に慣れていないのだろう。勿論私も。

メリハリ、見るところと関わるところ。
日常と非日常の『際』の楽しみ方。自由な行き来。

篠田 竜太

探し物

岩波文庫から出ているヘシオドス「仕事と日」を探しております。
同じ著者の「神統記」と並んで今のギリシャ神話の大元になっている物語なのですが、どうにも見つかりません。
「神統記」の方は本屋を何軒か駆けずり回って何とか入手したんですが、困ったことに「パンドラの函」の逸話が出てくるのは「仕事と日」なのですね。

稽古初日まで日が迫る中、ここはひとつ皆さまにお願いをする次第です。
どこかで見かけられた方がいらっしゃいましたらご一報下さい。
ちなみに三省堂は全店在庫は無しとのことです。名古屋市内では他にウニタ書店、星野書店、ジュンク堂、丸善などを回りました。あとは東京・池袋のリブロも。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

コメントを頂きました・その3

飯田稔一さんからコメントを頂きました。ありがとうございます!

+++

開演前にいただいた常温ビールの如く生温かく程よい感じで、のんびりさせていただきました。中秋の名月のサービスも最高でしたね。

 また、おさそいください。ではでは 。

コメントを頂きました・その2

篠田竜太さんから、『ハッピーアイスクリーム』の感想を頂きました。
ありがとうございます。

++++

土曜日、ハッピーアイスクリーム鑑賞させて頂きました。ありがとうございました。

初夏に七ツ寺でイズルさんや二村さんとお会いした時になさっていたのはこの稽古だったんですね。
あのようなワークショップの積み重ねが今回の作品なんだと想像するとシーンの一つ一つが地層の様にも思えてきます。

少し前に中沢新一さんの本を読んだ私には今回の作品のテーマは神話なんだなと思われました。
そして、作品において『現代の神話的機能を果たすもの』や、『私達の世代で失われていきつつありものの再認識』を求めたのかなと、勝手に思いました。

個人的にはインスタレーションを見るように見せてもらいました。また、偶然通りかかった人と観客/役者の発する玉砂利の音の違いを感じたとき妙にうれしくなりました。

とにかく楽しませて頂きました。

それでは

コメントを頂きました

チラシデザインの早野篤子さんに初日を観て頂き、ありがたい感想まで頂きましたので、ご紹介します。

ありがとうございました!

+++++

昨日はありがとうございました。
また、雨の中、本当にお疲れ様でした。

耳慣れた懐かしい言葉と、そこに隠されてた新しさ。
そして、古くも新しくもない神社という不思議な存在。

劇場の壁がないのに
大きな箱の中に入っているような感覚でした。
まるで時間軸のないタイムマシーンの箱みたい。
(↑なんじゃそれ…ですね)

この感覚をどこに収めて良いものか?
迷いながら、その余韻に浸っています。

普段、二次元の世界で四苦八苦してる私には
七次元くらいの世界を操るジャコウさんの頭の中って
どうなってるのか、これまた不思議でございます。

今後も、ますますのご活躍を
楽しみにしております。

今日はお天気が良くなって
ホントに良かったです!

コメントを頂きました

アップロードファイル 664-1.jpg

斉藤じゅんこさんより、先日の円頓寺でのパフォーマンスの感想を頂きました。
ありがとうございます!

+++

「出自もフィールドも全く異なる二人の、違いそのものを楽しみたい」
と事前にジャコさんが言ってらしたパフォーマンス 『真昼の円頓寺では地上にも怪人が徘徊する』

もちろん即興―

商店街の空き地や、民家の前のかわいいブースに、数十冊の古本を置いた小さな「店」が並んでいる。本物の古書店からフリーマーケット風のアットホームなお店までいろいろ。けっこうな人出だったが、商売というより本好きな人と人との出会い、交流の場のようだ。

パフォーマンスの前の歌が終わってもジャコさんはなかなか登場せず、今か…今か…。変なところから現れるのじゃないかとみんなソワソワして待っていた。ジャコさんはいつの間にか背後に現れるからだ。

やがて、イベント本部からジャコさんが静静と現れた。紺のTシャツに赤と白のチェックのシャツ。ダーク系のジャケット、ダメージ加工風のパンツに生成のキャップ。

音響は生演奏のサックスのみ。踊り手に寄り添って演奏している。音楽というより音とか動物の鳴き声に聞こえる。

ジャコさんの登場から充分間を取って、もう一人のダンサー服部さんが登場。初めて見るかただ。「この町には慣れてないが、オレは平気だぞ!」というように不安と強がりの混じった表情でやってくる。ゆっくり動くジャコさんに比べて、軽やかでシャキシャキしている。二人が近づくと、転校生と地元の子の張り合いみたいに挑発しあい、なぜか怒ったように服を脱ぎ合い、踏みつけたり、追いかけっこをしたり、何だかどっちもこの商店街に住む少年みたいだ。

途中、ジャコさんがどっかへ行ってしまった。それでも服部さんはそ知らぬ顔でクルクルとマイペースに踊っている。ジャコさんは見物客が探しているのを面白がるように、チラッと現れてはまたお年寄りや猫のいる路地へ逃げて行く。まさしく鬼ごっこをしてる顔、超ユックリ踊ってるかと思うと突然走り去るから油断できない。

その後、服部さんも負けじと財布から千円札を出しながら走りだし、どっかの店で何と「下駄」を買ってきた!それを履いてカタカタとタップダンスを始めたのにはびっくり!しかも下駄がアスファルトに嫌われたか、しばらく踊ったら片方がパカッと半分に割れてしまって更に大ウケ!

仲が良いのか悪いのか、これでは「怪人」ではなく、ご町内の「愉快なお二人」だ(^0^)

そして、そんな間もサックス♪が二人の傍らで演奏を続け、はじけるような音や、賑やかな音、偶発的な音で空気を震わせている。

30分くらい経ったか、とうとう二人がバラバラになってしまい、ジャコさんはまたどこかへ行ってしまった。私は気になりながらも服部さんのしなやかなダンスを見ていた。コンタクトインプロビゼーション(接触型即興)というダンスを追求されているらしい。きびきびとしていて、しかも太極拳のような独特な動きがキレイだ。

そのうち服部さんもいなくなり、見守っていたスタッフさんが「もう終わっていいの?」と誰に言うでもなくつぶやいた。
皆が落ち着かなくなった頃、はるか橋の方からジャコウさんがてくてく戻ってきて大人の声で終了を告げた。

帰宅後、一緒に行った息子の撮ったビデオを見たら、堀川の橋の欄干や「進入禁止」ボードをまたいで遊んでいるジャコさんが映ってた。

息子は服部さんが下駄を買い求めたところも目撃していた。普通に買い物している服部さんに、お店のおじいさんが丁寧に足のサイズを計ってあげてたらしい…

このパフォーマンスを見ていて気になったのが衣装。早々ともシャツも帽子も脱いでしまい、黒い短髪、色褪せたTシャツに切れ目まで入れて、白塗りのジャコさんは私には地味に見えた。地面を転がって汚れたら捨てるつもりなんだろうか…

以前も七ツ寺で普段着のまま踊っていて、その時は新鮮だったけど、私はもう少しキレイな恰好をしてほしかった。

また、現実離れした雰囲気と茶目っ気が混在していたが、途中からほとんど勝手に遊んでいるように見えた。

私は物足りなく思ったが、今思えばグループホームのお年寄りや、自転車の買い物客などがゾロゾロと行き交う商店街、アーケード越しの柔らかい陽射しが明るい商店街には「ヤンチャ坊主でいかんのかて!」とでも言いたげなジャコさんのほうが似合っていたのかもしれない。

かくれんぼをしながら、裸足になって走り回るジャコさんは、動く彫刻のようにゆっくりしているのがきっとイヤになり、少年時代に戻って「こんにちはゴッホさん」の絵よろしく、円頓寺商店街の風景に自分を塗り込めてしまったのだろう。

ガザより(転送の転送)

水谷イズルです。突然のメールですみません。
知り合いから、パレスチナの現状を知らせるメールが届きました。
報道でもなされているとおり、イスラエル軍はパレスチナ・ガザ地区に大規模な攻撃を仕掛けています。
さらにガザ地区にある国連の本部を攻撃しました。ここはパレスチナの難民を支援するための国連の施設です。
これはもうテロとの戦いとの大義名分を借りた暴挙としか言いようがありません。
今回の攻撃では、多くの民間人が死傷しているもようです。
とりわけ多くの子ども達も被害が及んでいます。
ガザからの声を、お知り合いの方に転送していただけると幸いです。
水谷イズル


Begin forwarded message:

ガザ 15 日 16:30  (日本時間 23:30 )

突然にすみません。小笠原弘子です。今イスラエルから猛烈な攻撃を受けているパレスチナの今の今の現状を知りました。現場からの生の声をお伝えします。多くの皆さんに転送してくだされば……。・・パレスチナ子どものキャンペーンです。市街戦が始まっています。ガザからの緊急の声を一人でも多くの人に伝えてください。
転送転載大歓迎 

ガザ 1月15日16:30(日本時間23:30)
--------------
500メートル先に戦車が・・・
--------------
国連の本部が攻撃されました。今、私の家族と一緒に家にいますが、家から500mのところにイスラエル軍の戦車がいて外にでることができません。これまでで最悪の日です。

彼らはテル・アル・ハワ地区に侵入し、次に小麦が保管されていたUNRWA(国連)本部を攻撃して火事が起きました。テル・アル・ハワ地区の人々は、女性も子どもも通りに出て逃げ出しました。この地域は人口密集した住宅地です。男たちが集められ、建物が取り上げられて火がつけられました。あらゆる方向から爆撃と砲火を浴びせ、アブダビのジャーナリスト2人が負傷し、1人は重傷です。

今、新たな空爆が始まりました。(爆発音)

イスラエルは状況をどんどんエスカレートさせています。今、人々は家を離れてあちこちに動き回っています。あらゆる方向から攻撃を受けているので、どこにも行けず、人々はただ動き回るだけです。いろいろな地域が攻撃を受けています。
そのような地域から人々は逃げ出しています。

-----------
人々が逃げまどっている
-----------
昨夜は朝まで恐ろしい時を過ごしました。銃撃が連続しています。

(また爆発音を飛翔体の飛行音)

多くの人々が残骸の下敷きになっています。パレスチナ赤新月社が運営しているアル・クッズ病院も攻撃を受けました。ここには500人のパレスチナ人が避難しています。この病院もテル・アル・ハワ地区にあります。病院も救急車も民間防衛局も消防署も、全てが攻撃されています。多くが負傷したり死んだりしています。
--------------
石油の備蓄も小麦もなくなった
--------------

多くの人がただ逃げ回っています。今日の午後は多くの人がただ毛布やかばんだけを持って攻撃された地域からこちらに逃げてきています。テル・アル・ハワ地区の人々は国連本部に逃げ込んでいましたが、そこも攻撃されました。イスラエルは攻撃してUNRWA職員と避難民の3人が負傷しました。ここにはUNRWA本部のオフィスと倉庫がありました。

大きな問題は、この施設には石油が備蓄されていたことです。石油やガスの備蓄が破壊されたのは破局的です。これらの燃料は病院や井戸から水をくみ上げる施設に供給されていました。ガソリンや燃料はUNRWAだけにしかなかったのです。
石油は攻撃目標になった二つのものの一つです。もう一つは小麦粉でした。もうガザには小麦も石油もありません。

空爆は無差別で、攻撃はあらゆる方角に向けられています。ただ殺すだけです。

皆さんによろしく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アムジャッドさんと電話がつながり、話を聞くことができました。
彼には、小さな娘が二人います。子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか。
電話で話をすることしかできない自分がとても辛いです。

**************************************************
特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン
Campaign for the Children of Palestine(CCP)
〒171-0031 東京都豊島区目白3-4-5 アビタメジロ603
Tel:03-3953-1393 Fax:03-3953-1394
Email: ccp@bd.mbn.or.jp
HP: http://ccp-ngo.jp/

CTT版『奴婢訓』の感想を頂きました

NEVER LOSE の片山君がフツーにふらりと観に来てくれました。

++++

366にいる『奴婢訓』の奴隷役の皆様、お疲れ様です。
さぞや身体がボロボロだと思います。疲れも溜まっていると思います。

今回のシーンは奴隷が主人の椅子を争う構成でした。実際に激しい椅子取りゲームのように奪い合いもします。


さて、奴隷は自分が奴隷だと疑問を持たないから奴隷のままなのだと思います。現状に満足しているのでしょうね。

俳優が自分の役に疑問を抱かないように。表現者が現状に満足するように。


奴隷の役。
自分が奴隷の役。
疑いを持ったなら奪え!主人がいる間でも虎視眈々と狙え!
周りを感じながら、主人の椅子に近づく他の奴等を蹴落とせ!
誰かが先にいるなら引きずり食らいつけ!
遠慮する奴から置いていけ!
俺が私が自分が主人だ!

というのがもっと観たいです。
寂光さんや火田さんが一番飛んでました。
比喩ではなく、実際に。なので体格や技術の問題ではないと思います。


あ、でも張り切り過ぎて骨は折らない方がいいと思います。
特に肋や鎖骨は気を付けて下さい。
声が出なくなってしまうので。

明日は誰が主人(公)の座を奪うのか夢見ながら、おやすみなさい。

片山雄一

舞踏デュオ『ポロネーズ』のコメントをいただきました

寂光です。

先日の寂光・みすず舞踏デュオの初日、『ポロネーズ』を観に来て下さった、ポーランド現代音楽研究家の黄木千寿子さんからコメントをいただきました。
有難うございます!

音楽×現代×ポーランドと、三重の専門家の方に見られるということでプレッシャーも相当なものでしたが、何とか及第点を戴けたようでひと安心です。

+++++

舞踏デュオ・ポロネーズを観て―

演劇には全く門外漢の私が、『今日は私の誕生日』を観て以後、寂光氏の活動に目が離せないでいる。その寂光氏が、今回舞踏にショパンとペンデレツキの音楽を用いるとのこと、さてこの二者をどのように配置するのかと興味を持っていたら、これらを同時に流すという手法にはまず驚かされた。このような聴き方は無論初めての体験である。しかし意外にも、この時代を超えた2つの音楽の共存は、異質なものとしてではなく、両者の融合のうちに新たなフェイズを作り出していた。

我が国ではショパンの音楽といえば、ピアノの華麗な技法とかサロン風のロマンティックなイメージで受け止められがちである。しかし実はショパンは亡国の民であって、美しさの蔭に、常に哀しみや怒りが息を潜めている。それは今回用いられたポロネーズのいくつかに、特に顕著である。また、ペンデレツキの作品は60年代の音響技法のものだったが、この時代のポーランド楽派のソノリズム(音響を主体とする技法)は概して、手法的には西ヨーロッパのものを導入しながらも、そこにポーランドの迫害の歴史が投影されている。その音は、前言語的な、人間存在の根源にある不安や死への恐れを我々の前に晒す。だから、ショパンとペンデレツキという一見異質な両者には、そもそも共通するもの-ポーランドの受難-という側面があり、両者をダブらせることは、互いの内に内包されていた同質的なものを暴く行為であった。美しいショパンの音楽は、ペンデレツキが被されることで、綿々と続いたポーランドの迫害の歴史の現前として聴こえ出す。ソノリズムはより強いメッセージ性を我々に呈示する。

ところでメッセージ性は、ポーランドの現代音楽に特徴的なものだが、寂光氏の作品にも顕著である。とりわけ、私が音楽で抱いた上記のような印象は、中間部分の朗読箇所で、より強められた。ここがあることで、舞踏全体は 単に効果を狙ったものではなく、セマンティックなものへと向かう。
そして寂光・みすず両氏のデュオは、このメッセージを、舞踏という、言葉でないかたちで表現した。メッセージは言語だが、言語を超越した身体表現は、メッセージを単なるイメージではなく、よりリアルな「体験」として我々の前に呈示する。そのとき初めて、そのメッセージは我々自身へと投げかけられ、我々の現実として受け止められるものとなるのだ。

『今日は私の誕生日』 コメント2

『星条旗の聞こえない部屋』の出演者・松井貴昭氏が、先日の舞台の感想をブログに書いてくれています。

感想と言って良いのか?・・黒丸(ここでは白になってますが)にもちゃんと意味があるそうで。

--------------------------------

「犠牲者が生きていたなら、どれほどの書物が、交響曲が、科学的発明が生まれていただろう。犠牲者は二度殺される。強制収容所に連行された子供として、そして成長するはずだった大人として」(1996年1月、イスラエルのエゼル・ワイツマン大統領のドイツ議会での演説より)。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

暗い舞台の中、三箇所に分割された座席、観客はそのいずれかに座す。座席と舞台が混在した”場”には静寂と否認、そして沈黙が辺りに立ちこめている。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

ショパン・・・・・・・・・

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

動き始める”死”、がれきに覆われている”場”には優しさや希望といった物は一切存在しない。「おまえ達がユダヤ人だから」

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

輪廻、、、所作、動作、行為。それぞれが1回1回繋がっていないようだ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

痲痺してしまった”生”皆、皆果てる一度一度滅する

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

(2008年2月16日愛知県名古屋市大須七ツ寺共同スタジオ双身機関によるタデウシュカントル作『今日は私の誕生日』)

ページ移動

Script : Web Diary Professional  ..  designed by : ysht.org   Copyright (C) 2007 theater company soushinkikan. All rights reserved.